Cheers!体のハンブンがビールでできてるSANTO(@elsantobeer)です。
ビールっていつからあるの?ワインとどっちが古いの?と疑問に思ったあなた。ようこそ当ブログハンブンビールへ!ビールの歴史をざっくり解説するのでぜひ読んでいってください。
ビールはこうして生まれた
ビールは液体のパン
ビールは紀元前4000年ごろにメソポタミア文明のシュメール人によって作られたのがはじまりのようです(時期については諸説あり)。
当時のビールの作り方についても諸説ありますが、一説によると大麦の麦芽から作った「大麦麦芽パン」を水に浸してふやかし発酵させて作っていたみたいです。
大麦は小麦と違いそのまま製粉することが難しく消化もよくありません。でもひもじい。そこで先人たちはなんとかこの大麦を食べることはできないかと考えました。
そしてついにいったん麦芽にしてから乾燥させることで砕けやすくなることを発見!消化もよくなるので一石二鳥。
こうして人類は手強かった大麦を消化のいい「大麦麦芽パン」にする技術を手にしたのです。この技術がやがてビールへと派生していくわけですね。
それにしてもパンを水に浸すという発想はどこからきたんでしょうか。
ここからは完全にぼくの私見ですが家で硬くなったフランスパンとかをスープに浸して食べたことありません?恐らくアレです。
だいたいこういう発酵系の食べ物、飲み物の誕生ってウッカリからはじまってますよね。
勝手に妄想パート
ウッカリ者の食いしん坊「シュメールさん(適当)」が大事にとっておいたパンが硬すぎることに気づいたんですね(第1ウッカリ)。
スープに浸してふやかせばいんじゃね?ひらめきます。浸します。忘れます(第2ウッカリ)。
数日たちました。そーいやスープに浸してたパンどうしたっけ?思い出します。
見るとスープの表面にはブクブクと奇妙な泡が…。これはさすがにヤバイんじゃね?一瞬たじろぐシュメールさん。
まいっか。飲みます(第3ウッカリ)。えーっおいしいんですけど〜!酵母ヤバイ酵母ヤバイマジ卍いいぃぃぃ…
こうしてビールが誕生した。
きっとこれが真相でしょう(知らんけど)。
と、とにかくシュメールさんの勇気に乾杯です!
普通飲まないよね。挑戦なくして成功なし!
ビールとワインどっちが古い?
ワインの誕生
ビールとワインの歴史を振り返ってみると、ワインのほうが断然古いですね。これまた諸説ありますが一説には紀元前8000年ごろにジョージアでワインが誕生したらしい。(ビール負けた感)
その後メソポタミア、エジプトでも作られるようになり、紀元前1500年ごろにギリシャに伝わりました。ワイン文化が西洋に伝わった瞬間です。
ちなみにこのころのワインは糖分があまりアルコールに転化されていなかったようで激甘だったようです。お酒というよりぶどうジュースを濃縮して長期保存できるようにしていたという性格が強く、水で割って飲んでいたみたい。カルピスのぶどうジュース版みたいな感じ?
ワイン=文明人、ビール=野蛮人
ローマ人や古代ギリシャ人の間ではワインが人気で「文明人」の飲み物として認知されていました。
一方ビールの作り方もエジプトや北方のケルト人経由で伝わってはいたものの、野蛮人の飲み物としてあまり流行らなかったようです。
北方に住んでいたバイキングにとってビールはとても重要な飲み物だったようで、略奪目的(?!)の航海中でも船の上でビールを作っていたほど。
バイキングの戦士は殺した敵の頭蓋骨を杯にして(???!)ビールを飲んでいたそうで、これがスカンジナビア語の乾杯の音頭の「スコール(scole:頭蓋骨)」の由来になっているとか。
バイキングめちゃくちゃ野蛮やん…そりゃギリシャ人、ローマ人もドン引きですわ。
まぁ文明人、野蛮人うんぬんというよりシンプルにギリシャやローマでぶどうがよく育ったというのがワインが流行った直接的な要因だとは思います。
ビールはこうして広まった
ぶどうがダメなら麦で
ギリシャ、ローマで不人気だったビールはどのようにしてヨーロッパに普及していったのでしょうか?
先ほどギリシャ、ローマではぶどうがよく育ったと書きましたが逆にぶどう栽培に適さない寒冷な地域では大麦や小麦がよく育ちました。
ぶどうが育たない地域で大麦、小麦が盛んに栽培されるようになるとともに、ビール作りもヨーロッパ中に広まっていったというわけです。
危険な水より安全なビール
今なら蛇口をひねるだけで安全な水が飲めますが、中世のヨーロッパの水は不衛生で世の中には伝染病が蔓延していました。
オーストリア生まれの聖職者であるアルノーは、不衛生な水と伝染病の関係に気づき「生水ダメ、ゼッタイ!ビール飲ンドケ!」と説教して回ったようです。
ビールは煮沸するので当時のきったない水よりも安全な飲み物だったんですね。こうしてビールとキリスト教が結びついていきました。
修道院とビールの意外な関係
中世になると修道院を中心に大規模なビール醸造がはじまりました。「修道院でビール??」意外に思う人も多いと思います。
8世紀に西ヨーロッパを統一したフランク王国のカール大帝は支配下にある地域住民たちをキリスト教に改宗させて、その支配拠点として各地に修道院を建設しました。
この修道院にビール醸造所が併設されていたわけですね。
3種のビールでお・も・て・な・し
修道院にはいろんな人が来ました。皇帝や使者といったいわゆるVIPから聖地巡礼者や物乞いまで、それはもうしょっちゅう来ていました。
こうしたお客さまをお・も・て・な・しするために修道院では大量のビールが作られるようになっていきました。
圧巻はスイスのザンクト・ガレン修道院。当時の設計図をみるとおよそ40もの建物からなり3つの醸造所が併設されるなど極めて品質の高いビールを醸造していたようです。
一つ目の醸造所ではceliaという強めのビールが作られ、いわゆるVIPにふるまわれました。
二つ目の醸造所ではcervisaというエンバクを原料にハーブで風味づけされたビールが作られ、修道士や巡礼者が飲んでました。
三つ目の醸造所では薄い弱めのビールが作られ、ヒラ(?)信徒や物乞いが飲んでいました。
一体どんなビールだったのかめちゃくちゃ気になりますね!
ちなみにこのザンクト・ガレン修道院は世界遺産にも登録されているので機会があれば訪れてみては?
ビールの品質の変遷
グルート VS ホップ
中世のヨーロッパではビール作りをする上で欠かせないものとして薬草やハーブ類を調合したグルートと呼ばれるものを添加していました。
いろいろな原料から作られましたが、ノコギリソウとヤマモモなどがよく使われていたようです。
ところが11世紀になるとホップが着目されはじめます。ホップを使用することで腐敗を抑制しビールの品質が飛躍的に向上することがわかってきたからです。
次第にホップを使ったビールが広がっていきますがいつの時代も保守派と革新派はいるものでグルートビールとホップビールの間で激しい競争が巻き起こりました。
特にカトリック教会はしばしばグルートの販売を独占して課税していたので、既得権益を守りたい聖職者階級はそれはもう必死でホップの普及を阻止しようとしていました。
しかし甘い汁ずっと吸ってたい派の健闘むなしく15世紀にはホップを使ったビールが主流となりました。
ビールは市民の飲み物へ
15世紀以降、都市の発展とともにギルド(商工業者の職業別組合)制が定着しビールの醸造は次第に市民が担うようになりました。
ビールが市民によく飲まれるようになるにつれて醸造技術も次々に改良が加えられ、ビールの品質はどんどん向上していきました。民営化バンザイ!
ビール純粋令
1516年にはドイツで「ビールは、麦芽・ホップ・水・酵母のみを原料とする」という一文で知られる「ビール純粋令」が出されます。
これはもともとパン用の小麦をビールに使うんじゃないぞー!という意味合いが強かったのですが、これが「ビール」という飲み物を改めて定義するとともにビールの品質維持向上につながることになります。
ちなみにこの純粋令は今もなお効力を持っています。500年前の法律が今もなお生きてるって凄すぎ。
まとめ
・ビールは液体のパン
・ワインの方が歴史は古い
・ギリシャ人、ローマ人にとってビールは野蛮人の飲み物
・昔の水はきたなくてビールの方が安全
・修道院では来訪者をビールでもてなした
・ドイツには500年以上守られているビールの法律がある
いかがでしたでしょうか。ビールもワインに負けず劣らずの歴史ある飲み物なんですよー!
次にビールを飲むときはありし日のシュメールさんに想いを馳せながらグラスを傾けてみるのも悪くないかも?
まだ伝えきれてないビールの歴史やエピソードがたくさんあるのでおいおい紹介していきますね。
それではまた!Cheers!
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